☆不定期にて更新予定
社会福祉法人桐鈴会 理事長 黒岩秩子が、入居者や利用者の方々からお話を聞くコーナーです。
理事長の軽妙な話術で、日頃あまり話されない方もついつい…。アッと驚くお宝(話)が出てくるかも?
※既に退所された方やお亡くなりになられた方も登場します。ご了承ください。
第3回「林 ハナさん」
(桐鈴凛々80号より 平成23年11月)
桐の花ができた時から住んでいるハナさん。今年93歳になりました。※当時の年齢です。
「うちは医者。動物の医者」「長男は東京消防庁に勤めているの」が、お気に入りのセリフです。
「父は馬に乗ってここらまで往診に来たんだって」車で40分ぐらいかかる塩沢の長崎に住んでいました。
「生まれて三日後に里子に出されてね、双子だったから。春に生まれたからハナ、ハルってつけられてね。
いだよし(枝吉をこちらではこういう)のとくべいという家で育てられたの。かわいがってもらってね。3つの時に実家に戻ったの。母が言うには、やっぱり自分で育てた子のほうが可愛いんだって。だから、何かあると『ハル、これあげる』というし、なんでも、ハル、ハルだった。学校に行くようになったら、私はなんでも優等生、ハルはそうでもなかったから、母には面白くなかったのかも。走るのも早いし、体も丈夫だったし、ハルはそうでもなかったからね」
「私のうちは、上に七人の兄がいたの。最後に双子が生まれてね」
実は、この双子さん、年をとっても良く似ていました。
ハルさんは、塩沢に住んでいて萌気園の二日町診療所にあるショートステイをよく利用されていました。
黒岩卓夫がそこで、ハルさんを見つけて「ハナさん、どうしてここにいるの!」と言ったというのです。そのぐらいこの二人は似ていた。
この事が分かった桐の花の職員たちは、すぐにこの2人を会わせてあげたいということで、ハナさんを二日町にお連れして、しばらくぶりの二人の対面を実現したのでした。涙涙の再会だったということです。
「ハルのほうが弱くて先に死んじゃって、泣きました」
※実はこのインタビューの始まりに、私がハルさんのことを「亡くなって残念だったわね」と言ったら「いえ、生きていますよ」と言っていたハナさん、亡くなったことを思い出してくれました。
亡くなった時、なんとハナさんの夢枕でにでてきたそうです。
「ハルが・・・・」というハナさんの言葉で、職員が電話したら、ちょうど告別式が始まるところ。長男のお連れ合いさんと話し合い、最後のお別れなのだからぜひとお願いして、急きょ迎えに来ていただきました。
おかげで野辺送りに間に合って、火葬場でお別れすることができたのでした。
双子の間で通じ合うものって、すごいものですね。
「小さい時に、母が何でもハルにばかり与えることを、私はずいぶん悩みましたよ。よくよく考えて、母は自分で小さい時から育てた子のほうが可愛いのだ、とわたしなりに理解したということは、自分ながら偉かったと思う。周りの人たちは『なんでハナばかりが良くなるんだ』とか言っていた。私がつらかった事はわからなかったのでしょうね。」
(これは、ハナさんにとっての「真実」であって、かなりの「物語」だということです。)