社会福祉法人桐鈴会
理事長 黒岩秩子


 性的マイノリティーの人たちが、最近はテレビに出たり新聞にも出たりするようになった。
1990年に始めた「大地塾」で、初めて当事者と出会ったことを思い出す。
当時20歳過ぎたばかりの男性が、大地塾に現れた。
当時私たちは、「男性二人の結婚生活」(うろ覚えだが)という感じの本を読みだしていたころだった。
彼はその本を見つけてすぐに読み始めた。
彼はすでに免許を持っていたので、大地塾生を乗せてどこにでも行ってくれた。
都合よく、無料で働いてもらっていた事になる。
その彼が、突然姿を現わさなくなったので、彼の家を訪ねてみた。
お母さんが言う。「酒におぼれて、酒を隠したら、お店で取ってくるようになって、刑務所に行きました。」
それっきり姿を見ることがなくなってしまった。

 卓夫の親しくしている医者の長男が20歳ぐらいで自殺した。医者の息子には時々耳にすることなのだが、
きっと医者になるのが嫌だったのだろうと想像していた。
ところが、数年前にご夫婦で我が家を訪ねてきたときに、
お二人が言うには、「これで何も知られないで逝けます」との書置きがあったというのだ。
「多分、ゲイだったのでしょう。色が白くてイケメンだったから。私たちが、認めないだろうと予想したのでしょうね」と。
統計的には、かなりの方々が、性的マイノリティーだと聞く。
とすれば、自分のそばにも言い出せないままに、生活することを強いられている人がいるのではないか?

 「性同一性障害」という言葉が市民権を持つようになって久しい。
私は、生まれた時から、「女に生まれて損した」と思い続けてきていた。
結婚もしないし、子どもも生まないと公言していたのだ。
あの頃「性同一性障害」という言葉があったら、もしかして私は、
それと診断してほしくて医者を訪ねていたのではないかと想像している。

 子どもが生まれてからも「女に生まれて損した」と思い続けていた。
5人目の子どもが生まれてもまだそう思っていたことを思い出せる。
6人目が生まれてやっと「女に生まれてよかった」と思うことができた。
そうしたら、それから母乳が出るようになったのだった。
「性」というものは神秘的?