☆不定期にて更新予定

社会福祉法人桐鈴会 理事長 黒岩秩子が、入居者や利用者の方々からお話を聞くコーナーです。
理事長の軽妙な話術で、日頃あまり話されない方もついつい…。アッと驚くお宝(話)が出てくるかも?
※既に退所された方やお亡くなりになられた方も登場します。ご了承ください。

第7回「戸田 聰さん」
(桐鈴凛々85号より 平成24年9月)

今年の4月にGH(グループホーム)ひまわりに入居した戸田 聰さんは、ひまわりただ一人の旧大和町の方。
この3月までは、隣町にある魚沼更生園に住んでいて、土日には自分の家に帰って一人で生活していました。
お母さんは彼が20歳くらいの時に亡くなり、お父さんは六日町に、弟さんは横浜に住んでいます。
小出養護学校中等部を卒業後は更生園に移って農作業をしていたと言っています。

<Q 黒岩秩子(質問者) A ゲスト>


Q.
どんな物作っていたの?

A.
ナス、トマト、トウモロコ シ、花も作っていた


Q.
赤石小学校にいた頃と小出養護学校にいた頃では、あなたにとってはどっちがよかった?

A.
赤石のほうがよかった。友達がいっぱいいたし…


Q.
いじめられたりはしなかった?

A.
はい


Q.
赤石小学校の友達とは会うことある?

A.
町民運動会とかで会う


Q.
赤石の町民運動会に行くの?

A.
はい 9月9日です。


Q.
あら遅いのね

A.
浦佐は早いんです(いつも8月中にやっています)


Q.
あなたも赤石の町民運動会に出るの?

A.
はい 毎年マラソンに出ています。

実は、彼はマラソンがとっても好きで、毎日この暑い中を町中走っているのです。
これまでも町民運動会に出ていたということを初めて知りました。


Q.
更生園とここでの生活とどっちがいいの?

A.
こっちです。楽々していられるから。

聞いてみると、更生園では毎日4時〜5時の間に入浴し、6時までに夕食を食べ終わると夜寝るころにはおなかがすいていたそうです。こっちに来てからは12時ごろまでテレビを見ていられるし、何でも自分で考えてやりたいことがやれる、と言っていました。
昔読んだ『もう絶対施設には戻らない』という本を思い出しました。施設から出て、GHに移り住んだ人たちからの聞き書きの本でした。


Q.
お父さんとは会うの?

A.
14四日に弟の家族と会いに行ってきました。

と言ってお父さんのことをいろいろ話してくれました。お父さんは役場の運転手さんでした。
11日に車でやってきて、15日に帰ったそうです。
来る前は聡さんが自転車で家に行って掃除をし、帰った後もまた掃除をしに行ったそうです。


Q.

A.
マラソンしていたら、Yさんに出会った。
Yさんはクリーニング店を経営していて、お父さんが運転していたころ世話になった人。だから、栗を拾うと届けに行ったりした。

Yさんの働きに行っているところは、南魚沼福祉会の「あさひばら」という就労継続B型の事業所です。ここでは、農業を基本とする作業ですが、聡さんは、薪を運ぶ仕事をしている。戸田さんは、重たい丸のまんまの木をトラックに運んでいると言う。


Q.
疲れるでしょ?

A.
全然。昼休みには、マラソンしてる。

9月2日(日)は浦佐で山岳マラソンがあり、9月9日は町民運動「忙しいんですよ」という。
毎週土日は、GH桐の花に行ってボランティアとして洗濯干しや、掃除、草取りなど、せっせと働いて職員に喜ばれています。
桐鈴会夏祭りの後片付けは、大活躍でした。朝早くから行ってどんどん片づけていました。
私が桐鈴会のヘルパーステーションの管理者の名前を出したら、満面笑みをたたえて「知ってる!」という。
魚沼学園の元職員だったので覚えているとのこと。ここにきて出会ってとっても嬉しかったのだそうです。
魚沼更生園からGHに出たのは、戸田聡さんが初めての方でした。聡さんが今回地域に出てきたことで、「施設から地域へ」との新しい風が更生園にも流れ、今後も一人でも多くの方が地域で暮らせるようになれば素敵なことですね。(桐鈴凛々85号より 平成24年9月)